【アドラー/嫌われる勇気】世界はどこまでもシンプルである!

どうも、レムです(´ω`)/

今回は、アドラー心理学の本質が学べる大ベストセラー『嫌われる勇気』の冒頭の箇所を読んで思ったことを、つらつらと述べてみようと思います。

世界は本当にシンプルなのか?

『嫌われる勇気』の2ページ目。

いきなり度肝を抜かれるような言葉が並んでいます。

青年 では、あらためて質問します。
世界はどこまでもシンプルである、というのが先生のご持論なのですね?

哲人 ええ。世界は信じがたいほどにシンプルなところですし、人生もまた同じです。

青年 理想論としてではなく、現実の話として、そう主張されているのですか?つまり、わたしやあなたの人生に横たわる諸問題もまた、シンプルなものであると。

哲人 もちろんです。

引用:「嫌われる勇気」P2


世界はどこまでもシンプルである。

人生もまたシンプルである。

ですって。


それが哲人なる人物の主張です。

でも、そう言われると…

「じゃあ、何でこのシンプルな世界が、こうも生きづらいんだよぉぉぉ!」

と反論したくなるものです。

そうじゃありません?


現にこの青年も同じような気持ちを持っているようで、

・人は変われる
・世界はシンプルである
・誰もが幸福になれる


と唱える哲人に対して、到底受け入れられるはずがない!と鼻息を荒くしておられます。

世界は複雑で生きにくい、という幻想


僕自身、自分を変えたいと思っていて、

「自分を変えることって何でこんなに難しいんだろう…」

と悩んでは途方に暮れておりました。


そうこうしているうちに、もうすぐ40歳。

悲しいことに人生の折り返し地点に差し掛かりました。

振り返ってみると、僕は、これまでずっと「変わりたいのに変われない…」と苦しみもがいていたように思います。


世界は複雑だし日々いろんな問題が起こってがんじがらめ。

誰もが幸福になるなんて遠い未来の話に思えてならない…。


そんな思いをずっと抱え、僕はこれまでこの世界のことを悲観的にしか捉えてきませんでした。


でもですよ?

本当にこの世界って悲しく辛いものなんでしょうかね?


子どもの頃を思い返してみましょう。

好きなときに、好きな場所で、好きな友達と。

泥だらけになるまで公園で走り回ったり、夕暮れどきのチャイムが鳴るまで時間を忘れるまでくだらないゲームに夢中になったり。


その間というのは、決して将来のことで心配なんてすることがなかったはずです。

そんな子供時代に見ていた世界は至ってシンプルで、毎日がお気楽で、毎日がキラキラした日々だったのではないかと思います。


さて、この輝きを失ったのは一体いつからなんでしょう?


たとえば10代後半とかになってくると、進学やら就職のことなど、将来のことを考えて生きていく必要に迫られます。

ある意味、自分の人生の責任を自分で取らないとならないわけですから、まあ、仕方がないといえば仕方がないことではありますが。


特に、この世界を生き苦しくしているものの一つが、数字による比較ではないでしょうか?

子供の頃はあんなに無邪気だった。

なのに、成長して大人になるにつれて、他人との比較や競争を強いられます。


学校のテストや通知表だってそう。

学歴がどうとか出身校の偏差値がどう、とか。

何歳で年収がいくらがどう、とか。

何歳までに結婚するべき、とか。

何人の友達がいて何人の人と付き合った、とか。


そういう数字で比べられるものを物差しにして、その人の価値を推し量ろうすること。

大人の世界では往々にありますよね?


すると、否応なしに自分の価値が世間に比べて高いのか低いのかが測れてしまいます。


世間の平均に比べて収入が低いとへこむし、結婚適齢期になっても独身でいると、自分には価値がない…と思い込んでしまったり。

かといって、自分の年収を自分でなかなかコントロールできないし、結婚にしても「さて、結婚するか!」と思い立ったところですぐにできるわけでもない。


色んなプロセスを経て色んな段取りを踏まないと、出世だの昇給だの、恋愛だの結婚だのもままならないわけで…。

そう思うと、なんてこの世の中は複雑で、生きづらいんだ!と叫ばざるを得ないような気がします。


「自分の生きているこの世界はなんて暗いんだ!」
「自分の人生は、どうしてこうも闇ばかりなんだ!バカヤロー!」

負け犬の遠吠えと言われればそれまでですが、そうやって海に向かって叫びたくなるものですぜ。

   

誰が世界を複雑にしている?

しかしですね。

哲人の見解では、それはあくまでも僕が僕の見ている世界を「嫌なもの」とか「暗いもの」として捉えているに過ぎない、というわけなんです。

そう、他の誰でもない。

僕やあなた自身が、この世界を複雑なものにしているのです!

哲人 それは「世界」が複雑なのではなく、ひとえに「あなた」が世界を複雑なものとしているのです。

青年 わたしが?

哲人 人は誰しも、客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけをほどこした主観的な世界に住んでいます。あなたが見ている世界は、わたしが見ている世界とは違うし、およそ誰とも共有しえない世界でしょう。

引用:『嫌われる勇気』P5



結局、この世界というのは、僕たちが普段から「どう見ているか?」がすべてです。

自分自身の捉え方や物の見方次第で、この世界の見え方も変わるわけなんですね。


哲人 いま、あなたの目には世界が複雑怪奇な混沌として映っている。

しかし、あなた自身が変われば、世界はシンプルな姿を取り戻します。

問題は世界がどうであるかではなく、あなたがどうであるか、なのです。

引用:『嫌われる勇気』P6


たとえば、雨が降っている目の前の世界に対し、A君は「あ〜、今日は雨か。気分が憂鬱になるな…」という設定をしました。

「雨の日は頭が痛くなるし、湿気が多くてイライラするんだよな…。仕事中の唯一の楽しみが晴れた日の会社の屋上で缶コーヒーを飲むことなのに、それもできない。

雨の日の満員電車とか最悪だし、何でこんな思いしてまで働かないといけないんだろ…。

でも、俺にはこれといって取り柄がないから、一生会社にしがみついて働き続けなければ生活できないし…。ああ、人生そのものがずっと雨模様だ…」

そんな感じでA君は、グチグチと雨に文句を言って、挙げ句の果てに自己否定してしまいました。


一方で、雨が降っている目の前の世界に対し、Bさんは「今日は雨だ。新しい傘を差せるから嬉しい!」という設定をして、ルンルン気分でお出かけしました。


さて、A君とBさん、どちらの世界が正しいのでしょうか?

いえ、決してどちらも間違ってはおりません。

どちらの世界が正しくて、どちらの世界が間違っているとかではないのです。

どちらも正しいんですよね。


ただ、どちらの世界がよりシンプルで、生きやすい世界か?

そう聞かれれば、圧倒的に後者のBさんが捉えている世界の方に違いない、と僕は思います。


A君のように、単に雨が降っている目の前の世界を複雑に捉え、色々とネガティブな意味づけをしたところで、1円の得にもなりません。

つまりは、この世は不幸だという色眼鏡で世界を見ていて「うわ〜この世界は最悪だ!」と悲観的になっているなら、

「さっさとその色眼鏡を外してしまえよ」

ということなんですね。


ただ、そこで大事になるのが、

・今までの常識にとらわれない
・刷り込まれた価値観にとらわれない
・周りの人たちの意見に左右されない
・過去の記憶にこだわらない


ことなんだと思います。


さらには、たとえ身近な人に何て言われようと、たとえ周りの人たちに嫌われようと批判されようと、

「自分は今、幸せな世界の中で生きているんだ!」

という確固たる世界観を持って生きていくことが大事なんでしょう。

嫌われる勇気を持つとは結局なんなのか?

そこで大事になるのが「嫌われる勇気」であり、他人にどうこう批判されようと自分の軸を持つ覚悟を持つことではないでしょうか?

中には誤解している人もいますが、「嫌われる勇気」とは決して、周りの人に嫌われようが自分勝手にワガママな行動を取ることではありません。

人に嫌われようが何されようがブレない自分の世界の捉え方、物の見方を確立することなのです。


「自分自身がこの世界をどう観ているか?」

結局、これが全てです。

自分自身の持つ世界観が、人生を楽しくしているか。それとも人生を退屈にしているか。

それを左右するのが、この世界の見え方すなわち世界観なわけですからね。

だから、もし今の自分の世界が気に入らないなら、さっさとその世界観を変えてしまえば良いのです。


とはいえ、そうは問屋が卸さないのもまた事実。

そうそう簡単に、今までの世界の捉え方や物の見方って変えられるものでもなかったりします。

たとえ自分で変えたつもりでも、すぐに元に戻ってしまう…。

その原因は、過去の記憶だったり、自分の中に溶け込んだ固定観念だったりします。

これが意外と厄介なんですが、それでも少しずつ世界観や物の見方を変えていくことが大事なのです、きっと。


ということで、今回はこの辺で。

それでは(´ω`)/

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